写楽研究-あまりに真をかかんとて 

東洲斎写楽--わずか10カ月の間に、150点あまりの大量の浮世絵を制作した後に、忽然と消えてしまった、謎の浮世絵師。再評価されて、人気が高まった明治以降、この「写楽は誰か?」というのが、浮世絵研究上の最大の謎でした。多くの説が提唱されて、現在は「阿波藩蜂須賀侯のお抱えの能楽師・斉藤十郎兵衛だったのでは」という説が有力視されています。この写楽の正体については、各界著名な方から、いろいろな説が唱えられましたが、謎に迫ろうとする反面、彼の浮世絵の特色についての分析・検証が、後回しにされているように感じております。このHPでは、あえて「写楽は誰か?」という謎を、ひとまず横において、写楽の初期の大首絵28枚についての考察を進めていきます


  
上図 三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛
「名作というのは、洋の東西を問わず、何か重大なことを隠しているという印象を与える」  千住博

目次
写楽の描く女形について
 ギリシャで発見された肉筆扇面画について
はじめに
1.歌舞伎の構成上おかしな点について
2.元絵?との比較
3.様々な疑問点


画面構成とリズム
視線の流れ、配色について
y=x2の放物線
写楽の手(1) (2)
衣紋線について
写楽は最初のキュビズム?
写楽の内なる眼
最後に
参考文献
掲示板
  
  
  

*東洲斎写楽(?〜?)寛政6年に突如現われた浮世絵師。いずれも版元「蔦屋」から役者絵を中心に彼の名前で150枚あまりの浮世絵が出された。画風が段々と変化し、突如として出版されなくなったことや彼についての記述が少ないことから、「謎の浮世絵師」と呼ばれる。初期の28枚の大首絵が最も評価が高い。なお当HPの写楽の画像は、東京国立博物館のものを基本的に使用しております。