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描かれなかったもの

このように写楽の大首絵を見てきてあらためて思うのは、単純明解な絵のように思われながら、そこに盛り込まれた情報の多さです。

 左図は代表作の「市川鰕蔵の竹村定之進」です。この絵を見ていて、「あれ、なんか変だな?」と感じた時がありました。というのは当然描かれるべきものが、描かれていなかったからです。さて写真家の兼本延夫さんが、浮世絵の世界を再現した写真集に「江戸草紙」というのがあります。この中に「竹村定之進」を再現した写真があります。残念なことに出版元の京都書院が現在ないので、この写真をCGで再現してみました。(下図)すなわち、大きく眼を見開いて眉を上げ、口を真横に引くと、当然鼻の脇から口の端へと深い皺(法令といいます)が、普段ない人でも現れます。大首絵を描く際、役者に接近して描いたのなら、メイクが濃かったとしてもはっきりわかります。(但し隈取りをしていたら別)。実際他の作品(中島和田右衛門のぼうだら長左衛門と中村此蔵の船宿かな川やの権 )には描かれています。これは市川鰕蔵を描く際、実見ではなく、他の絵を参考にしていた可能性があるということです。

                       

 写楽は複数居た?

 このHPの最初に「あえて"写楽は誰か?"という謎を、ひとまず横において」と書きましたが、やはり触れないわけにはいけないでしょう。これまで挙げた写楽の第一期の大首絵28枚の特徴とそれ以降を比較すると


三期の作品「「大和屋杜若」岩井半四郎の浮世之助下女さん

A. 一期・・造形の基本が放物線。二期以降・・造形の基本はゆるいカーブ

B. 一期・・筆の捌きが絶妙で大胆な線。交差する所を離す描き癖がある。二期以降・・筆圧が一期より強い。一期に見られる描き癖がない。逆にカーブの所が太くなる描き癖がある。

C. 一期・・さながら体に骨が通っていないように感じられる。二期以降・・そういう特徴はない。

D. 一期・・ 鼻の下(人中)の真下に唇の端が来ている。二期以降・・鼻の真下に口の中央が来ている。(上図・「四代目岩井半四郎の浮世之助下女さん、実は左馬之助妹さへだ」参照)

E. 一期・・「内の眼」優先の絵。二期以降・・「外の眼」優先の絵。

 これらから総合的に判断すると、一期の写楽とそれ以降とは別人であると、推定されます。何故そうなったのかは、今後の研究の課題です。

写楽は写楽である

 そして最後に強調しておきたいのは、写楽はやはり写楽という強烈な個性を持った職業的絵師であるということ。仮に他の著名な絵師の一時の変名であるなら、私がこれまで挙げた写楽の絵の特徴と、彼等の作品との共通性が確認されないといけません。

写楽とは「写し鏡」である

写楽の絵には意外にも情報が多いです。そしてそれ故に、どこをどう見るかによって、万華鏡のように見方が変わって来ます。たとえば、「頭部の中に占める「顔」の割合の大きさ」や、「"正面から見た顔"を折り紙のように折って嵌め込んでいるように感じられること」から、あたかもお面を被っているように見え、それが「能面」へと連想を広げて能役者説が出たのではないか。或いは写楽の大首絵の人物の顎の特徴や、むしろ人形に似た「目」から、人形師と関連があるのではという説が出たのではないかと、私はこう思っています。つまり情報量の多さが、人の想像力を刺激するわけです。これは現在でも絵が出た当時でも変わらないはずです。従って、現在有力視されている、「阿波藩蜂須賀侯のお抱えの能楽師・斉藤十郎兵衛」説には疑問があります。写楽の活躍した同時代、写楽の住んでいたとされる八丁堀に、そういう人が住んでいたのは事実だとしても、職業的絵師でない人に、この絵は描けないのです。それにこれだけの絵を描けるのなら、斉藤十郎兵衛その人が描いた絵が残っていないとのも、不自然です。

旅はまだ終らない

こうしてみると、以前から言われていた説と、さほど変わらないものとなりました。ですが私にとって、まだまだこれは出発点だと思っています。例えば写楽の作品全体を通して、複数で描かれたのではないかという可能性は否定できません。写楽の絵の情報量の多さや、短期に沢山出版されていることなどからそう推察されるのですが、まだ決定的とはいえず、今後ともいろいろと調べていきたいと考えております。写楽についての謎は、まだまだ他にもいっぱいあります。このHPがきっかけになって、写楽に興味を持たれたり、或いは浮世絵を研究をされる方も、少しなりともお役に立てば幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。