衣紋線について

写楽には、もう一つ触れなければならない素晴らしさがあります。それは彼の描く「線」の美しさです。浮世絵自体、線の美しさを表現した芸術と言えますが、顔や指などを描いた細くてはっきりとした線と、衣服の形や皺を描いた衣紋線はとても美しく、何よりも「線が生きて」います。

前掲した寺田寅彦の「浮世絵の曲線」の中に、写楽の「線の美しさ」を考察した一文があります。

ただ写楽の人物の顔の輪郭だけは、よほど写実的に進歩した複雑さを示していると同時に、純粋な線の音楽としての美しさを傷つける恐れがあるのを、巧妙に救助しているのは彼の絵に現われる手や指の曲線である。これが顔の線と巧みに均衡を保ってそのためにかえって複雑な音楽的の美しさを高調している。

上左図 二代目市川門之助の伊達与作 上右図 三代目板東彦三郎の鷲坂左内  ひらがなの「ひ」の字のような線 跳ね方にも、写楽独特の癖がある。

 さて、これらの線は、筆のやや上を握り、筆捌きの自由度を保ち、かつ筆の穂先の弾力を十分に生かして、ゆったりと描いたように思われます。筆圧が一定しています。当然絵筆に熟練していなければ、このように描けるものではありません。したがって写楽は、この大首絵のシリーズが出版される以前から、相当数、絵を描いた経験を持つ「プロ」の絵師であった可能性が高いと私は考えています。魚住和晃著「現代筆跡学序論 文春新書 にこういう記述があります。

「よく書き慣れてこなれた文字には、書くことを積み重ねることによつて形成された固有の筆脈、気脈があって、美しく洗練された筆跡とは意味を異にして、書者独特のバランスを持っており、まねるにまねられないうまさが発揮されている。」(P174) 
 書と画の違いはありますが、これは写楽の作品の筆捌きにもあてはまるのではないでしょうか?

写楽大首絵の描き癖

 そして、もう一つとても興味深い事実があります。それは写楽には、「線と線とが交わることを嫌い、間隔を開ける」という描き癖が存在するという点です。

 左図は、「二代目小佐川常世の竹村定之進妻桜木」の部分です。着物の襟の角の、線の起点がわざわざ離して描かれています。写楽の他の作品のほとんどにも、こういう描き癖が見られます。

 一期とそれ以降との違い

 ここで写楽の第二期の始めとなる「口上図」と比較してみましょう。(下図)特にカーブを描いている所に特徴が出ています。
 この「口上図」の人物(都座の座頭の篠塚浦右衛門といわれる)のの服の皺のカーブに注目して下さい。曲がっている所が太くなっています。これは一期までの筆捌きとは別の人の手になり、紙に対しての筆の角度も違うことを指し示しています。筆圧も違うように感じられます。

  




 もちろんこれらは「版画」であり、彫られた線を元にしている訳ですから、元々の肉筆とは違うのではないかという反論があろうかと思います。しかしながら、当時は画稿を「版下師」といわれる職人が、極薄の紙に、極細の筆を使ってトレースする形で詳細に書き写して、版下絵を制作していました(この版下絵を、裏表逆にして、板に貼付けて彫師が彫った)。

 実際、版下師も彫師も高度に熟練した技を持っていました。写楽の作品を出版した蔦屋にも、これらの職人が多数いたと思われます。従って写楽肉筆の画稿の持ち味が、製作過程の中で失われたとは考えにくいということになります。
 幸いなことに、写楽後期の相撲絵の版下絵が残っており、それを見ても、この「口上図」に描かれた描き癖(カーブの所が太くなる所)と同じ特徴が見い出されます。例えば「鴻ケ峯と宮城野」などです。

 写楽の一期とそれ以降との比較については、また後で触れてみます。

 いずれにせよ、このような筆の描き癖が存在すること自体、写楽が職業的絵師であり、他の職業と兼務していると考えるのは、「不自然」でないかと思われるのです

 




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