写楽の内なる眼

 写楽の大首絵の人物の特徴として、もう一つその「目」が挙げられます。

 
左から「二代目板東三津五郎の石井源蔵」「谷村虎蔵の鷲塚八平次」「嵐龍蔵の金貸石部金吉」「市川男女蔵の奴一平」

 はげしい凝視で、各々の役者の圧倒的な情熱を表現していて、どれも「寄り目」になっています。面白いことに、左右の目の瞳(晴)の大きさが違っているために、より強い「寄り目状態」に感じられます。これは虚空を睨み、目がぐるっと回ったり寄ったりして、最後に戻るという、普通の歌舞伎の見得の型で使う視線の動きとは、また違ったものを感じさせます。

 市川団十郎の芝居の見得に「不動の見得」という「型」が代々伝わっています。これは両の目ではなく、片方の目だけを寄らせるというもので、右目で月左目で太陽というように、陰陽を表現しているといわれています。これだと左右の目の大きさが当然違うわけです。私はNHK教育TVで放映された「日本の伝統芸能」の「歌舞伎鑑賞入門」という番組で、実際の市川団十郎丈のその目の演技を見ました。しかしそれと、写楽の大首絵の寄り目とは、どうやら違うようです。

集中すると寄り目になる?

 劇作家・演出家で俳優でもある野田秀樹さんが日本経済新聞の文化欄に「役者の寄り目」として寄稿された文章の中に、とても面白い記述がありました。以下その一部を紹介します。(平成12年5月28日朝刊)

 十六歳の時、高校で役者の真似事をやり始めた。

 ある日芝居を見た友人に「野田は、芝居の終わり頃になると目が寄るね」と言われた。その友人は今、裁判官になっているので、それは嘘ではなかったと思いたい。その時は、私は「ふうん」と聞き流した。

 やがて、私は一枚の絵の秘密に気付く。

 写楽の役者絵である。誰もが一度は目にしたことのある、指が懐からでて曲がり、そしてその目は、確かに寄っている。あの絵だ。

 この役者絵は、「演技をしている役者を誇張したもの」として紹介されていた。だが私は、「ああ、この絵は誇張ではない。リアリズムだ」と直感した。

 そしてこの直感はさらに、名優白石加代子を見て裏付けられる。彼女は、その当時、舞台上で目が寄る狂気の女優として活躍していた。「寄り目」は彼女の専売特許だった。さらに歌舞伎には、いまだに団十郎の「睨み」というお家芸がある。「睨み」とは、すにわち「寄り目」である。察するに、初代団十郎が、偶然舞台上で集中していい芝居をしていた折に「寄り目」をしていたのに違いない。やがて、それが、ひとつの型になり、今では、その型から入り、その折の団十郎に近付くという逆現象になっているのではないか。

 確かに大相撲の人気力士・高見盛は、土俵の上で盛んに自分の体を叩いて、集中を高めているうちに、次第に寄り目になっていきます。あたかも写楽の「谷村虎蔵の鷲塚八平次」のようです。いずれにせよ、人物の左右の瞳の大きさを変えることによって角度が付き、見るものに強い「寄り目」状態を感じさせ、それが写楽の絵に迫力を産んでいるのだと、感じています。
 ところで、もう一つ私が気になっていたのは、「寄り目」をしていない、写楽の大首絵の作品に描かれた「目」でした。

外の眼・内の眼

 写楽の「三代目沢村宗十郎の大岸蔵人」です。なにやら悪巧みを考えている悪人に見えます。(芝居の筋からいうと、彼の役は主役を助ける善玉です)これでは、役者達から嫌がられるのも無理ないと思います。ですが、なぜそういう風に感じるのでしょう? 細かくいうと人物の左右の眼の中心が微妙にずれているからなのですが、これは何を表現しているのでしょう?

 悩んでいる時に、一つの本と出会いました。それはオリックス時代の、イチロー選手や谷選手のスポーツアイのビジョン・トレーニングを担当された田村知則氏の「眼が人を変える」という本でした。氏はその著書の中で、単なる視力と動体視力だけでは、スポーツ選手の眼のよさは測れないとし、人間には、現実の風景を見る眼の「外の眼」と、心の中の意識の風景を見る「内の眼」があると説明されています。さらに「大切なのは「視力」だけでなく、判断を促す外の眼と内の眼の総合力、いわば「視覚」です。」(P45)と書いておられます。
 そして多くの選手の、「外の眼」と「内の眼」をそれぞれが、どういうバランスで使っているかを調べて、眼の傾向とその人の行動・性格パターンは、密着して関連していることを発見されました。その例として、外の眼が優勢なアーティストとして松任谷由実、そして反対の内の眼が優勢なアーティストとして、中島みゆきを上げています。つまりユーミンの曲には、外界の風景描写や色彩の表現が多彩で、ステージングにもそれがあらわれいることから、「外の眼」が優勢であると。また中島みゆきの曲は、彼女の内面に写った心の情景を、さながら現実の風景のように歌っていること(風の中のすばる、砂の上の銀河などをつばめが高い空から見る)から分かるように、内の眼が優勢だと。大変に鋭い指摘だと思います。

 さてそこから、写楽の初期の大首絵の人物の眼を見ると、目前の光景を見ているというより、何か考え事をしているという「内の眼」を描いているのではないかと、感じられるのです。すなわち外に向かった明確な「視線」というのを、さほど感じないのです。これは後の作品と対比するとはっきりします。

一期と、それ以降の比較

写楽はその作品の内容と制作年代から、第一期から第四期までの四つに分けるというのが、ほぼ定説になっています。

一期-寛政6年5月の江戸三座(都座・桐座・河原崎座)の夏の上演の芝居から取材した28図。いずれも雲母刷りの大首絵。

二期-寛政6年7,8月の江戸三座の秋の上演の芝居から取材した37図と口上図。すべて全身図。

三期-寛政6年11月と閏11月の江戸三座の顔見世狂言の芝居から取材した、役者絵が58図と追善絵が2図と相撲絵が4図。

四期-寛政7年正月の桐座・都座の新春の上演の芝居から取材した10図と、相撲絵2図、武者絵2図。

さて一期の大首絵と、それ以降を比較すると、二期以降のものは、外に向かう「視線」が感じ取れます。

 

左の「三代目大谷鬼次の川島治部五郎」(二期の作品)はいわゆる「カメラ目線」ですし、右の「三代目沢村宗十郎の名古屋山三と三代目瀬川菊之丞の傾城葛城」はそれぞれがお互いを見ています

 さらに三期の作品の、相撲絵の大童山の土俵入り(三枚続き)では、中央の大童山を周囲の皆が注目していて、空間の中は彼等の視線が支配しています。すなわち一期は「内の眼」が優勢な人物が描き、二期以降は、「外の眼」が優勢の人物が描いたと思われます。詳しくは次章で触れますが。このことからも、一期と二期以降の作品は、別の手になると考えられます。

 ちなみに、絵画の中で「内の眼」・いわば物思う目を描いているのは、きわめて珍しく、そういう点でも写楽の大首絵はユニークであり、他の画風とは明確に違っています。むしろ人形の目に近いといえるかもしれません。 


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