視線の流れ、配色について

 

写楽の「三代目佐野川市松の祇園町の白人おなよ」です。一世を風靡した市松模様をあしらった、襟と袖のデザインが実に見事です。
ここで、もう一つ注目したい点があります。それは、市松の扇子と手が作っている曲線がいわば、一つの「流れ」となって、絵を構成しているということです。
そのためにこの絵では、左手の親指や小指の先まで細かく気を使って描かれています。(下左図参照)。同様に「四代目松本幸四郎の肴屋五郎兵衛」も、人物の右肩から右手、左手そして煙管に、視線が繋がるようなカーブを描いています。(下右図)、また、二人の人物の大首絵の「三代目佐野川市松の祇園町の白人おなよと市川富右衛門の蟹坂藤馬」では、佐野川市松の左の肩の襟と、市川富右衛門の右の襟が上手くつながっています。(図はいずれも下にあります) そこに写楽の「創意工夫」を、見てとることが出来ます。

また、歌麿と比べると、写楽は浮世絵に使われた色数が少ないという点から、(版木の数を少なく出来るというメリットがある)、写楽の絵を「地味」な風に捉える向きもありますが、決してそのようなことはありません。

 杉浦日向子氏の「ぶらり江戸学」(マドラ出版刊)によりますと、

「雀を思い浮かべてみてください。頭から、黒、茶色、ベージュ、グレー、白・・・そんなような、雀の持っている色すべてが、江戸好みの色です。」(略)「しかし、よく考えるとこの雀の羽色というのは、人間がヌードになったときにも全部ある色ですよね。髪の黒、肌のベージュ、白目の白--人間がもともと持っているグラデーションです。そういう色を見にまとい、同じ色調の居住空間に住むというのは、ほとんど保護色ですから、落ちつくわけです。江戸は派手なイメージがあるんですが、実は基本はこの雀の羽色なんです。それを大基本として、キメ色を上手に使っていく。大部分の面積は、基本の色で埋めておいて、その中に、真っ赤をチョコッとつけるとか、紫色をスッと入れる、あるいは見目鮮やかな若緑をパッとしめる。そうやって、雀色の中に一つだけキメ色を効かせるというのが、江戸の真髄と言っていいような、おしゃれの基本でした。(P59〜P60)

 引用が長くなりました。私がいいたいのは、写楽の大首絵の配色のセンスというのは、どの作品も、杉浦先生のおっしゃる所の「江戸前の真髄」を踏まえているということです。 

こういうセンスが「粋」だったということですね。そういう基本線を押さえた上で、このシリーズが制作されているわけです。そしてこれに「雲母刷り」の艶やかさが加われば、当時の人達にとって、ずいぶんとセンセーションだったのではないでしょうか? そこに「蔦屋のねらい」があったというのも、十分に考えられる訳です。  

      

    


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